時代劇を誰もが一度テレビなどで見たことがあるでしょう。
水戸黄門をはじめ、暴れん坊将軍など様々な作品がテレビで放映されてきました。
そんな時代劇の中でも最も取り上げられる時代が江戸時代です。
しかし、そんな江戸時代のメディア作品において「馬車」を見たことがありません。
農業や商業で使う台車や貴族の使う牛車はあるのに、なぜ馬車はないのでしょうか。
本記事では、なぜ江戸時代に馬車が普及しなかったのか?その真相に迫ります。
江戸時代、馬車は普及していなかった??
まずは馬車の本場でもある欧州の江戸時代の運送事情について説明します。
【江戸時代の欧州の運送事情】
江戸時代の1600年からの300年において欧州では馬車が急激に進化し、終盤では廃れていきます。
従来馬へのベルトの取り付けの難しさ、激しい揺れによって馬車は日常的に使われることが稀でした。
日常の商業の運送や移動においては船や牛車がメインになります。
一方で馬車の速度の速さから戦いにおいては馬車や騎馬が用いられていました。
騎馬や馬車が戦いのみで使われていたのは江戸時代の日本でも同じです。
その後、欧州では技術的な革新によって馬車と道路が大きな進化を遂げます。
馬車においては台車にスプリングが取り付けられ、衝撃がかなり抑えられました。
そして道路の舗装がかなり整うようになり、馬車での移動も不便なく行えるようになったのです。
よって早い速度の移動手段として馬車が欧州で人気となります。
その後、技術革新の終点でもある鉄道・自動車の登場により、19世紀には馬車は廃れていきます。
同時期において文明開化で日本にも馬車が入ってきますが、長続きはしませんでした。
それは馬車そのものが衰退していた為です。
【江戸で馬車が普及しない理由①環境要因】
次に江戸時代に馬車普及しなかった理由の一つ、「環境要因」について説明します。
江戸時代において馬車が取り入れられる環境が整っていませんでした。
具体的には「馬」、「地形」、「気候」の3つの環境が整っていませんでした。
一つ目の「馬」についてですが、江戸時代の日本において馬の数はとても少なく貴重でした。
そのため、馬は高価で身分の高い武士のみが使用できる状況だったのです。
また戦の時の軍備にも馬は欠かせない存在だった為、その使用には厳しいルールが多く存在していました。よって馬を日常の移動手段として活用すること自体がとても難しかったのです。
次に二つ目の「地形」についてですが、日本は世界でも有数の火山列島です。
そのため、山地も多く、地形も複雑でした。
また欧州のような技術革新が起こっていた訳でもないので、道路の舗装はなお不可能でした。
各藩を繋ぐ街道においては最低限の整備がされましたが、馬車を利用できるほどではありませんでした。
仮に衝撃を吸収する技術が発展していたとしても当時の路面状況では馬車の運用は出来なかったでしょう。
そして三つ目の「気候」についてですが、日本は雨が多く、高温多湿です。
また橋や建造物の多くが木製でした。
舗装されていない道において雨は天敵で、湿度は木製建造物の天敵でした。
そこに高重量の馬車による高負荷での移動は耐えられるものではありません。
ましてや長距離にも及ぶ移動を馬車で行うことはリスクがあり過ぎました。
よって飛脚や籠など路面状況に左右されない人力での移動が採用されていたのです。
【江戸で馬車が普及しない理由②人的要因】
最後に江戸時代に馬車が普及しなかった理由の二つ目、「人的要因」について説明します。
前にも述べたように、江戸時代の日本では人力での移動が主に採用されていました。
そこに馬車を運用しようとすると主に二つの問題が発生します。
一つ目が雇用問題です。
江戸時代には主に人の手で荷物の運搬や情報の伝達を行なっていました。
当時の運搬事情については下記の記事にまとめてありますので合わせてお読み下さい。
そのため、多くの人間が人やモノ、情報の移動に関連した仕事についていました。
非効率な方法ではありますが、いわば人数を費やすことで効率を上げていたのです。
分かりやすい例が参勤交代の大名行列のような光景です。
運ぶべき荷物を多くの人たちで分担して行列を為して一度に運んでいました。
これに馬車が介入すると、多くの人が必要なくなり、多数の失業者が出ます。
次に事故問題です。
元々人が通るほどの道幅で整備されている道に馬車を用いると事故に遭う危険があります。
これは街中においても同じことが言えます。
また馬車に合わせて全ての道を整備し直すことによる費用もバカになりません。
これらの雇用や事故に対する人的リスクを各藩が検討した結果、馬車の運用は見送っていたという見方もできます。
江戸時代、日本は独自の運送文化が進化していた!!
ここまで江戸時代の欧州の運送事情、馬車の普及しなかった理由2つについて説明しました。
気候や地形の違い、技術革新のタイミングがそれぞれの運送文化を生み出しました。
これに優劣はなく、それぞれの環境や文化に違いに適した運送方法が取られていたと言えるでしょう。
日本においては道中途方もない時間をかけて移動することによって、より忍耐強い国民性や風景を楽しむ風情が育まれたのかもしれません。
そう考えると、馬車が無くて良かったとも思えますね。