ふと疑問に思ったことはありませんか?
「生け花(教室)」「華道(部)」「活け花(展)」「花道」「挿花(そうか)」など、「いけばな」を表す言葉は色々ありますよね。
筆者は数年間「いけばな教室」に通っていましたが、教室の先生や生徒さんたちの表記の仕方、呼び方もそれぞれでした。
「いけばな」という言葉の表記の違いは一体何なのでしょうか?
この記事では「いけばな」の歴史から、その謎を探っていきたいと思います。
そもそも「いけばな」とは?
まず初めに「いけばな」とは?をご紹介します。「そんなことくらい知っているよ!」という方は、読みとばしてくださいね。
「いけばな」は日本で生まれた文化です。植物や、様々な道具を使って生け、それを鑑賞します。花だけでなく、枝や幹、葉、コケなども「花材」と呼ばれて使用します。
欧米のフラワーアレンジメントなど、植物を愛でる文化は世界各国にたくさんありますが、フラワーアレンジメントはどの方面から鑑賞してもまとまった形に見えるのに対し、日本のいけばなは、多くの流派で鑑賞する際の正面があります。また、枝ぶりなど植物本来の味わいを生かすことも「いけばな」の特徴です。
「華道」は神仏に関係している!?
「いけばな」の歴史は古く、古代の時代から神さまが降り立つご神体・依り代として植物をお供えしていたことが起源と考えられています。
その後、仏教が伝来すると、仏さまへ花を供える「供花(きょうか)」として「華道」が発祥しました。室町時代の中頃には「華道」が確立しました。現在も伝わる華道の流派「池坊(いけのぼう)」は、この頃に京都六角堂の僧によって確立されました。この僧(お「坊」さん)が代々、「池」のそばに住んでいたことから「池坊」という名が付いたようです。そのままのネーミングですね!
「生け花」は江戸時代に!?
時代は下って江戸時代の中後期(文化~文政)になると、それまでは上流・武家階級で親しまれていた「華道」が、庶民にも親しまれるようになります。
生花(しょうか)をベースに様々な技、凝った花器や花台を使い、「生け花」が文化・芸術として発展したようです。この時代に作られ、現在に伝わる技やデザインもあります!
江戸では古流(こりゅう)、大阪では未生流(みしょうりゅう)などの流派がこの時代に創設されました。
一部の人々のたしなみから、多くの人々へ広まったことにより「いけばな」はさらに昇華したのですね。
スポーツでもそうですよね、競技人口が増えると記録が伸びますね!
「華道」と「生け花」のイメージの違い
「いけばな」の発祥~確立の歴史を簡単にご紹介してきました。
「華道」という言葉は、仏教の供花がベースと言えそうです。
そのため、花を楽しむ・芸術性を求めるというよりは、精神性を求めているように思います。
茶道、武道などと共に、その「道」を求めるちょっとお堅いイメージです。
対して「生け花」という言葉は、花を楽しむ!芸術性を高める!といった、趣味的なイメージを持ちました。
人々は、昔から身近な植物をいつくしんでいたようです。
それは、自然の中で美しく生きる植物の生命力を敬っていたからではないでしょうか。
まとめ
同じ「いけばな」を表す言葉でも、表記や言葉の違いによってイメージが変わりますね。
・「生け花」は、植物や日本の文化に親しむイメージ
・「華道」は、礼儀やお作法も含めた伝統的な「いけばな」というイメージ
・「活け花」は、新鮮は植物を使った、生き生きとしたイメージ
・「花道」は、「華道」よりも少しくだけたイメージ
・「挿花」は、少し侘び寂びを感じさせるイメージ
筆者の通っていた「いけばな教室」は、「道」やお作法を求めるお堅い感じではなく(生徒さんによりますが…)、季節の花にふれあいましょう~というカジュアルな雰囲気でしたので、「華道教室」というよりも「生け花教室」というイメージです!
どれが正しいというものではありませんが、それぞれの言葉の背景・歴史を知り、その時々・そのイメージに合わせて使い分けられたら素敵ですね♪