原爆

広島原爆ドームが世界遺産になった理由とは?人類史上初の被爆都市の歴史を学ぼう!

広島は美味しい食事や魅力的なスポーツイベントがたくさんある土地です。

それ故に日本全国のみならず、世界各地から多くの観光客が足を運びます。

筆者の友人の外国人も広島のお好み焼きと紅葉饅頭にどっぷりハマっていました。

英語表記などのガイドも充実して素晴らしい観光地だったそうです。

そんな人気の観光地である広島には、もう一つ世界的に有名な意味合いがあります。

それは、人類史上初の「核爆弾の被爆都市」であることです。

今回はそんな核爆弾の被曝都市としての象徴でもある、原爆ドームが世界遺産になるまでの経緯について解説していきます。

原爆ドームがどのように世界遺産へなったのか

原爆

まずは原爆ドームという呼び名が定着するまでの経緯について分かりやすく解説します。

【「原爆ドーム」と呼ばれるまで】

現在、「原爆ドーム」と呼ばれている建物は元々違う正式名称の建物でした。

1915年に広島県内の物産品を展示、販売するために建てられ、当初は「広島県物産陳列館」という名称でした。その後、広島県の美術展示会などが行われるにつれ、名称も変化し、1933年には「広島県産業奨励館」と改称されました。

広島県産業奨励館として第二次世界大戦を迎えることになったのです。

建物自体の構造は、一部鉄骨を使用した煉瓦作りで、設計はチェコの建築家でした。

全体は3階建てで、建物中央には5階建ての階段が設けられ、その最上部に銅板の楕円形ドームが作られました。当時の広島は木造の2階建ての建物が多く、外壁を石材で装飾した3階建てのヨーロッパ風建築は最先端の建物として人気でした。当時の広島産業奨励館の様子が以下になります。

原爆

たしかに日本の伝統家屋の中にこんな建物があったらおしゃれスポットになります。

その後、1945年8月6日に原子力爆弾が広島産業奨励館の南東約160m、高度約600mの位置に投下されます。

爆風が上空からほぼ垂直に吹いたため、全壊は奇跡的に免れますが、建物は全焼します。

外壁とドームの鉄骨が残った状態から市民が「原爆ドーム」と呼ぶようになり、現在に至ります。

【「原爆ドーム」が世界遺産になった理由】

広島を襲った原子力爆弾の威力は凄まじいものでした。

被爆時に原爆ドーム内にいた人は全て即死しています。

爆風の圧力は1㎡あたり35t、風速は毎秒440mという驚愕の威力で辺りを野晒しにしました、

加えて高熱波により、人間の皮膚が溶けるほどの高熱にも晒されました。

そんな原子力爆弾の詳細については以下の記事にて説明しておりますので、ぜひ合わせてお読みください。

そんな凄惨な状況の中、奇跡的に全壊を免れた原爆ドームは、人々にとって色々な意味を持っていました。

当初、戦後においては戦争のトラウマが蘇るものとして原爆ドームを「見たくない」人々も多くいました。

家族や友人との別れ、そして後遺症に苦しむ元凶となった原爆を思い返すものは確かに見るのも辛いです。

1953年に広島市の保有となり、1966年に原爆ドームの保存の決議が採決されました。

戦後数年経って、初めて忘れてはいけない「被曝の歴史」を伝えるものとして公に行動が始まったのです。

その後、世代を超えて核兵器の恐ろしさや核廃絶のメッセージを伝える、価値のある建物として認められていきます。1995年に日本の史跡に登録され、1995年に世界遺産としてユネスコに登録されました。

まさに認められた理由とは核兵器の恐ろしさを伝える「負」の遺産だからなのです。

【実は難しい、原爆ドームの「保存問題」】

被曝の歴史を後世に残す建物として世界的に認められる一方で、広島市民の支援や募金活動がなければ、原爆ドームが世界遺産に登録されることもありませんでした。

なぜなら、原爆ドームには「建物の風化」という問題が常に付き纏うからです。

原爆ドームを後世に残すために1番大切な点は被曝当初の状態を維持することです。

原爆ドームの状態を見て原子力爆弾、核兵器の恐ろしさを実感できなければいけません。

このある意味、特殊な「状態維持」は莫大な費用がかかります。

単純に建物を取り壊して立て直すよりも遥かに難易度が高いものだからです。

元々、被曝してボロボロなものをボロボロなまま、長い時間保存していくには定期的で適度な補修を必要とします。加えて日本の気候や耐震対策も考慮に入れると最適な保存技術をより追求すべき問題となります。

最適な補修方法や資金の使い方が常に問われる、超難題なのです。

原爆ドームだけが伝えられる「歴史」を胸に刻もう

原爆

ここまで原爆ドームの歴史や世界遺産登録の背景、保存問題について説明しました。

戦争を知る人が常に減ってきている現在において、原爆ドームは必要な遺産ではあります。

一方で、これ以降の後世において、どのように継承していくかはほとんど意識していません。

戦争を知らない世代にとって、原爆ドームの価値が伝わりきれていない部分も少なからずあります。

世界で唯一の核兵器被爆国の国民として、改めて核兵器の恐ろしさを再認識出来る、「価値ある記憶」こそ原爆ドームなのではないでしょうか。

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