銀閣寺

仏教の歴史は現代人の心に深く刻まれている!日本国家を支えた仏教のルーツに迫る!

日本人に根深い仏教…でも学校で教わる機会がなく意外に知らないですよねぇ~。

仏教の大学出身の筆者も知らないことばかりでした。

今回は日本仏教の歴史について取り上げていきます。

仏教の歴史のひもを解いていきましょう!

渡来人が伝えた仏教

船

日本に仏教が伝えられたのは、6世紀頃です。

百済の聖明王が欽明天皇に仏教や経典を伝えたとされますが、その年代を『日本書記』522年、『上宮聖徳法王帝説』や『元興寺縁起』などでは、538年とされています。後者が有力です。

仏教受容をめぐっては、物部氏と蘇我氏が争って、仏教派の蘇我氏が勝利しました。

ちなみに538年以前から仏教は伝わったと考えられているそうです。本当のところの年代はよくわかってないのが実情です。

仏教を通じた国家体制

聖徳太子

593年ころから推古天皇の摂政として厩戸王は蘇我馬子とともに政務を取り仕切ります。

厩戸王の政策

◆憲法十七条に仏教思想を取り入れる
◆仏教経典を学んで「三経義疏」を著す
◆遣隋使を派遣して仏教文化を輸入する
◆仏教普及のため寺院を建立する。

※聖徳太子はいなかった説も歴史学ではあります。なので、筆者の考えにより聖徳太子(厩戸王)がいた仮定で話を進めます。

日本のお札では、聖徳太子の肖像画が使用されていたこともあり、日本人にとって根深い歴史上人物をいなくなるのは心に穴が開いたようで寂しさがありますね。

国家安寧の仏教(8世紀)

東大寺

聖武天皇の時代には、全国に国分寺・国分尼寺が建立され、中心寺院として東大寺が建立されます。

背景には国家安寧を図るという国家と密接に結びついた鎮護国家の思想があります。

平城京には朝廷と深い関係の大寺院は南都七大寺(なんとしちだいじ)と呼ばれ、南都六宗(なんとろくしゅう)と呼ばれる学派も形成されました。

ちなみに現在の東大寺は、江戸時代(1688~1704)に復興されました。二度ほど戦いで焼失しています。

奈良時代の東大寺を見たかった筆者です。

新風を巻き起こした中国仏教(9世紀前半)

比叡山

最澄と空海は804年に入唐しており、最澄は『法華経』を最高の経典と位置づける天台教学を中心に禅や戒律、密教を学んで帰国します。806年に比叡山延暦寺を建てて天台宗を開きます。

一方の空海は、長安の高僧・恵果(けいか)から密教を学んで帰国し、816年に高野山金剛峰寺を建立して真言宗を開きました。両者の特徴は、密教です。

天台宗では、最澄の弟子の円仁によって密教化が進んで「台密(たいみつ)」と呼ばれ、真言宗は空海が嵯峨天皇から勅使された道場・東寺にちなんで「東密」と呼ばれました。

東密と台密は現世利益に加えて、衆生に利益をもたらす利他行と大乗仏教の目的である成仏を修行方法に汲み込んだ点が特徴で、平安時代の貴族層に支持を広げていきまいた。

神仏習合(8~10世紀)

神仏

神祇信仰と融合する動きが生まれました。例えば神社に神宮寺が建立されています。こうした動きを神仏習合といいます。

神宮寺の代表としては福井県小浜市の若狭彦神宮寺があります。

平安時代には仏が仮に神の姿で現れて功徳を示すとする本地垂迹(すいじゃく)説が唱えられ、習合神道や仏教を中心にこの思想が展開されました。

社会不安の増大と浄土信仰(11~12世紀)

空也

平安後期以降に末法思想が流行したことで、死後に阿弥陀如来の極楽浄土へ往生できるという浄土信仰の広がりが加速しました。

末法思想とは、釈迦入滅後、次第に仏教が衰え、釈迦の教えが行われなくなる時代が来るという仏教的史観です。日本では1052年に末法に入ったと信じられていました。

10世紀になると、空也など「聖(ひじり)」と呼ばれる民間布教者が京や諸国で念仏の教えを広めたほか、天台宗出身の僧・源信が『往生要集』を著しています。

これは地獄と極楽の世界を詳細に描いた書物で、極楽浄土に至るための念仏の方法も記されていました。

貴族・朝廷が恐れた大勢力(11~12世紀)

弁慶

院政期に入ると、貴族が多くの荘園を寄進されて、勢力を増した大寺院は僧兵を組織するようになります。

興福寺と延暦寺は強大な勢力を誇り、前者は南都、後者は北嶺(ほくれい)と呼ばれました。

南都・北嶺の勢力は、荘園経営で国司などと争いがおきると、朝廷に強訴をおこなって要求を通そうとしました。対抗勢力として武士が台頭してくるようになります。

僧兵は、お坊さんなのに欲まみれでよくないですよね~釈迦の教えから離れすぎです。

禅宗文化の影響で花開いた文化(13~15世紀)

金閣寺

鎌倉時代に入り、武士の仏教を持とうとしました。保護されたのは、栄西の臨済宗です。

その後、臨済宗は宋から来日した蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が現れたことなどで引き続き武家政権の保護を受け、室町時代に入っても隆盛を誇りました。

さらに、足利義満の時代には、鎌倉時代の五山(ござん)の制を拡大した五十・十刹の制も確立し、臨済宗の寺院は官寺として地位を得ています。

この五山の寺院には、中国からの渡来僧や中国で学んだ留学僧によって、漢詩文や儒学の研究を中心とした五山文学が成立しました。水墨画も伝えられます。

室町文化では、武家文化と公家文化や大陸文化などとも融合しながら、金閣寺に代表される華麗な北山文化を形成しました。

さらに簡素ななかにも深みをもった枯淡の美を追求する東山文化へ発展していきます。その後、茶道・華道、日本庭園などの伝統文化が生まれていきました。

戦国大名も恐れた仏教勢力(15世紀後半~16世紀)

戦国大名

戦国時代に入ると、宗教的に結束した勢力が各地で既存の勢力に対し、一揆を起こすようになりました。

浄土真宗の信徒が近畿・北陸・東海地方で蜂起した一向一揆は典型例にほかなりません。

1488~1590年 加賀の一向一揆

一向一揆中最大のもの。20万の一向宗徒が守護の富樫政親を滅ぼし、以後統治します。8代蓮如が北陸布教にあたって組織した、坊主を中心に結成された門徒の国人や農民の講がその母胎となります。

信長、天下統一へ仏教弾圧(1570~80年)

信長

1568年に上洛を果たした信長は、石山本願寺に対して5000貫もの矢銭(軍用金)を課し、本願寺明け渡しなどの要求をします。

これに対して本願寺11代顕如は、1570年諸国の信徒に御文を出して信長との対決を促しました。

これが11年続く石山戦争です。

信長は1574年に伊勢長島の一向一揆を、翌年には越前の一向一揆を平定します。

1580年には加賀一向一揆を解体したほか、石山本願寺攻めで顕如を大坂から退去させました。

それに先立つ1571年には対立していた浅井・朝倉連合軍と通じた比叡山延暦寺を焼き討ちしています。

容赦しない信長、第六天の魔王の恐ろしさがわかります。ひぇ~

江戸幕府の民衆支配に利用された仏教(17~19世紀)

徳川家康

江戸幕府は、仏教を統制下に置いて、保護するという宗教政策を取りました。

まず行われたのは、本末制度の確立です。これは、各宗派の本山や本寺に本末帳を提出させて末寺を掌握させるものです。

島原の乱をきっかけに宗門改めを行い、庶民は寺院が発行する証文によってキリスタンではないことを証明しました。

さらに庶民はいずれかの寺院の檀家になることが義務づけられ、家族単位で人名や年齢が所属する檀那寺の宗門人別帳(しゅうもんにんべつちょう)などに記載され、幕府に提出されました。

この寺請制度は戸籍の役割を果たし、幕府は仏教を利用して民衆支配の体制を確立しました。これらの政策で影響力を発揮したのは、天台宗の天海や、臨済宗の金地院崇伝(こんちいんすうでん)らでした。

仏教大打撃!!廃仏毀釈(1868年~)

廃仏毀釈

1868年3月28日、成立したばかりの明治新政府は、神仏分離令を発布し、神社が仏像をご神体とすることなどを禁じました。これは神仏習合を見直し、儒教や仏教の思想を交えない日本古来の神道(復古神道)を国教化する宗教政策です。

これがきっかけで廃仏毀釈が始まりました。以後、全国各地で寺院や仏像、経典などが破壊・焼却されるという事態が相次ぎ、仏教界は大打撃を受けます。

仏教の近代化(1868年~)

西洋化

西洋思想の影響を受けて近代化をします。

浄土真宗の島地黙雷は、「三条教則批判」を政府に建白して政教分離や信教の自由を訴えます。
井上円了は『仏教活論序論』などを著し、仏教思想と西洋哲学の統合を試みました。
『法華経』に基づく国家建設を理想とする「日蓮主義」を唱えた田中智学や、親鸞の著した『歎異抄』を近代的に甦らせました。

また、実践的な「精神主義」などを唱えた清川満之(まんし)、宗派横断的な仏教清徒同志会設立の中心となった境野黄洋、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊し、禅を海外に紹介した鈴木大拙などが登場しています。

昭和時代に入ると1940年には大政翼賛運動を担う大日本宗教報告会を結成し戦争協力に動きました。

仏教の未来

日本社会

急速に変化する日本社会のなかで仏教のあり方が問われています。

筆者は、冠婚葬祭でお目にかかるだけではなく、日本人の心のよりどころであってほしいです。

今回、日本仏教の歴史を調べてみて、古くから日本人は仏教から密接な関係であったことは間違いありません。忙しい日々から離れてみて、お寺で「仏教の教え」に導かれてみましょう。




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