渋沢栄一の生涯は「いつから」がいっぱい

渋沢栄一の生涯は「いつから」がいっぱい!「日本の資本主義の父」に納得の人生

2020年以降、突如現れたウイルスにより、世界の経済と働き方は大きく変化しました。

あぁ、今の時代に「渋沢栄一」がいてくれたら・・・。

大河ドラマの影響で渋沢栄一のファンになった筆者ですが、最近まで「誰?」という状態でした。

一万円札の顔が、福沢諭吉から渋沢栄一に変わると聞いても「何した人?」という知識不足。

ところが渋沢栄一のことを調べるうちに、いくつもの「いつから」を持つ人物ということが分かりました。

そこで今回は、渋沢栄一の功績と、いつから○○した人という歴史をご紹介いたします♪

渋沢栄一とは?

渋沢栄一とは?

画像提供 深谷市 ©深谷市

「日本の資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一

農家に生まれ、農業と商業を学び、農民として一生を終えるかと思いきや、稀有な人生を歩んだ人物。それが渋沢栄一です。

農民でしたが、尊王攘夷の思想を掲げて江戸に出て、剣術を学びました。

しかし、一転して、一橋慶喜(後の徳川慶喜)に仕えます。つまり幕臣になったのです。尊王攘夷派と真逆です(笑)

武士となった渋沢でしたが、明治時代には新政府の改正掛(現在の大蔵省)で務めはじめます。武士改め、お役人様です。

しかも新政府は幕府の敵!!

ところが、その後は民間実業家として大成するのです!

まとめると、

・農民
・武士(尊王攘夷派)
・武士(徳川家臣)
・政治家(明治政府)
・民間実業家

これほど身分が変わる人生、普通はなかなか歩めませんよね(驚)

では詳しく深堀してみましょう♪

渋沢栄一の「いつから」①幼少期

渋沢栄一の「いつから」①幼少期

幼少期の学問が大きな基盤に

渋沢栄一は、1840年3月16日、埼玉県深谷市血洗島(ちあらいじま)で農家の息子として生まれました。

父は、男女の隔てなく学問の手ほどきをしてくれる人でした。

商いについては父から、従兄弟の尾高惇忠(おがたじゅんちゅう)からは論語を学びました。

渋沢栄一の商才と知力は、幼少期の英才教育によって育まれたのですね!

渋沢栄一の「いつから」②青年期:前半

渋沢栄一の「いつから」②青年期:前半

尊王攘夷派から一転、徳川の家臣に?!

青年になった渋沢栄一は、ある日、父の名代として領主から御用金の上納を求められ、激怒します。

この頃から、日本のあり方や国の偉い人の政治に、不満や疑問を抱いていたのですね。

1861年(文久元年)には江戸に出て、北辰一刀流の千葉道場に入門し、剣術の腕を磨きます。

それと同時に、異国の民を日本に入れてはいけないという尊王攘夷の思想に傾倒。

徳川幕府を倒す志を持ち、行動を起こします。

ところが!

一橋家の家臣「平岡円四郎」に認められ、武士として相反する徳川幕府に仕えることになります。

名前も栄一から「篤太夫(とくだゆう)」に変わります。

渋沢栄一の「いつから」③青年期:後半

パリ万博

徳川慶喜の弟とパリ万博へ

1866年(慶応2年)に一橋慶喜は正式に将軍となりました。

翌年のパリ万国博覧会に将軍の名代として出席する徳川昭武(慶喜の異母弟)と共にパリへ向かいます。

フランスをはじめ、ヨーロッパ諸国をめぐりながら、算術の腕も振るいます。

世界の広さと日本にはない経済の仕組みを学び、大いに感嘆した渋沢篤太夫。

この頃には武士の命でもある「ちょんまげ」を落としています。

異国の民は切らねば!と思っていた尊王攘夷の頃とは、まるで違いますね♪

渋沢栄一の「いつから」③中年期:前半

渋沢栄一の「いつから」③青年期:後半

帰国したら今度は新政府の大蔵省へ!

海外から帰国した渋沢篤太夫は、日本を見てビックリ!!

なんと、自分の主である徳川慶喜が大政奉還(政治を天皇へ返上)したではありませんか!

自分を武士に引き立ててくれた平岡円四郎もすでに亡くなっていました。

渋沢は、しばらくは徳川の旧恩に報いるため静岡に出仕します。

この頃、日本で初めてとなる株式会社の実践や、銀行、物販などの仕組みに着手しました。

ところが!(part2)

今度は幕府の敵であった新政府軍(明治新政府)に招かれます。

1869年(明治2年)の出来事です。

徳川幕府から政治を勝ち取ったものの、財政は火の車。

そろばんと商才に長けた栄一に、白羽の矢が立ったのです。

この頃、篤太夫から栄一に名を改めています。

何と忙しいこと!

渋沢栄一の「いつから」③中年期:後半

渋沢栄一の「いつから」③中年期:後半

死別、再婚、実業家への転身と忙しい時期

政治の真っただ中にいたはずの栄一は、なんと1873年(明治6年)に明治政府を退官します。

新政府からの招状が届いたのが明治2年で、退官したのが明治6年。

政府にいるより、他にやりたい事業があったのでしょうか。

そしてこの頃に、日本で初めてとなる銀行の総監役に就任しています。

私生活も慌ただしいです。

1882年(明治15年)、妻の千代が流行り病のコレラによって42歳という若さで亡くなります。

栄一は、その翌年、伊藤兼子という女性と再婚!

転職も再婚もスピード重視!

その後も渋沢栄一は、日本で初めての○○を、いくつも作り上げていくのです。

「日本の資本主義の父」と呼ばれるのも納得です。

そうして、1931年(昭和6年)、91歳で生涯を閉じました。

なんとも壮大な91年ですよね☆

渋沢栄一の一万円札はいつから発行されるの?

渋沢栄一の一万円札はいつから発行されるの?さて、渋沢栄一の活躍は死後も続きます。

1万円札の新しい顔になることが決定しているのです。

お札の顔になる人の選出基準が分からない筆者。

福沢諭吉や厩戸皇子(聖徳太子)など、有名な人以外は「誰?」という無知さでした。

今では、なぜもっと早く「渋沢栄一」が紙幣の顔にならなかったのかと感じます。

これほどお札にふさわしい人物が他にいるでしょうか?

日本で初めての「株式会社」や「銀行」を作った人なのにと・・・。

渋沢栄一の一万円札が出回るのは、2024年の上半期(4~9月)頃の予定です。

渋沢栄一の「いつから」は語りつくせない

渋沢栄一の「いつから」は語りつくせない農民、武士、政治家、実業家と、なかなか味わえない人生を送った渋沢栄一。

江戸、明治、昭和という歴史の変革期を生き抜きました。

記録に残っている以外にも、多くの体験がありそうです。

渋沢栄一の一万円札を手にしたら、ぜひ渋沢栄一の生涯を調べてみてくださいね☆

新しい発見に出会えるかもしれません。




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