母の日に赤いカーネションを送ったことはありますか?
恥ずかしながら、私自身は気恥ずかしくて送ったことはありません…f^^;
ところで、そもそも何故母の日に赤いカーネションを贈るのでしょうか?
それには母の日の普及に努めた、1人の女性が深く関わっています。
そして、そこに込められた想いは、母の日の意味を考える上で非常に大切なことになります!
今回は、そんな母の日にまつわる物語をご紹介します。
母の日を創った女性
実は、母の日は世界の様々な国にあって、由来もバラバラだったりします。当然、日付もバラバラです。しかし、母を敬う気持ちは国を超えても共通しています♪
日本の場合、アメリカのアンナ・ジャービス(上記画像)が行った活動が由来となっています。
アンナ・ジャービスの活動は、母のアン・ジャービスに対する気持ちが原点になります。
母のアン・ジャービスは、母の日のワーククラブ(Mother’s Day Work Club)を組織しました。
この組織は、地域の衛生環境を向上させるなどして、乳幼児の死亡率を下げることが目的でした。さらに、南北戦争時には中立の立場を宣言し、両軍どちらの兵士の治療も行い、敵同士を仲良くさせる平和活動も行ったのです!
そんな母だったからこそアンナ・ジャービスは、とても敬愛していたのでしょう。
そして、全ての人に自分の母親が生きている内に、もっと敬える機会を持ってもらいたいと、『母の日』を普及させていったのです。
日本に広まったのはいつ?
日本で広まるきっかけになったのは、1913年に青山学院へ送られたアンナ・ジャービスからの手紙でした。
それから様々な教会や集会場で、母の日を祝う行事が行われるようになったとされています。さらに、1931年に大日本婦人連合会により「母の日」が制定されましたが、当時は全国的には普及しませんでした。
ちなみに、その時制定された日付は、当時の皇后の誕生日である3月6日で、今とは違っていたのです。
全国的に広まるようになったのは、1937年の『第1回 森永・母の日大会』からだと言われています。
これは森永製菓が中心となって行われたもので、新聞や雑誌に取り上げられ全国的広まりました!
しかし、第二次世界大戦に突入し、母の日の普及はそれ以降あまり進みませんでした…
そして、戦争が終わった後の1947年に、今と同じ5月の第2日曜日に母の日が正式に制定されたのです。
赤いカーネーションの由来は?
母の日にカーネーションを贈るのも、アンナ・ジャービスに由来しているとされています。
それはアンドリュー・メソジスト教会で、1908年に公式な母の日のセレモニーが初めて開かれた時でした。
その時にアンナ・ジャービスは列席者に白いカーネーションを配ったのです。この花を贈った理由は、アンナの母が好きだったからとも、花言葉が母の愛情だからとも言われています。
これを機に、母が亡くなっている場合には白を、生きている場合は赤のカーネーションを贈るようになりました。なので、母が生きている場合は、白のカーネーションを贈るのは避けたほうが良いでしょう。
やはり、赤のカーネーションが花言葉的にも定番ですね。
母の日が嫌いになった女性
実は、アンナ・ジャービスは母の日を普及させた後に、今度はそれを無くそうとする活動を始めます。
これは、母の日が次第に商業主義的にお金を目的に利用されるようになったためです。そして、アンナ・ジャービスは改革運動のために逮捕されたり、資産を失いながらその生涯を終えました…。
彼女としては、母の日はもっと純粋に自分の母親に敬い、祝う日にしておきたかったのでしょう。
このような話を聞くと、母の日とは、本来どんな日であったかを考えざるを得ません。
あなたはちゃんと母親に感謝の気持ちを伝えられていますか?
形だけになっていませんか?
改めて「母の日」を考え直し、母への感謝を伝える日だと忘れないようにしたいですね!
5月の第2日曜日。
ぜひ、母へ、赤いカーネーションと一緒に「ありがとう」を伝えましょう。