インフルエンザに、新型コロナウイルスに、ノロウイルス。
いずれも感染すると辛い症状を起こす怖い感染症ですね。
新しい感染症が発生する度、人はあらゆる手を講じ感染症と闘ってきました。
今回は、感染症の歴史において活躍した人物をご紹介いたします。
日本で大流行した感染症
人物をご紹介する前に、日本ではどのような感染症が流行したのかをご紹介しますね。
1)天然痘(てんねんとう)
天然痘ウイルスは、紀元前から存在する、長い歴史を持つウイルスです。
感染力、致死率ともに高く、治療薬が開発されるまで、人々はこのウイルスに苦しめられました。
もともと日本にはなく、中国や朝鮮半島との交易の際に運ばれてきたウイルスです。
何度も流行を繰り返し、ウイルスや細菌の概念が無い時代には、神仏の怒りが原因とされました。
飛騨高山の定番お土産「さるぼぼ」は、天然痘除けのお守りとの説もあります。
2)コレラ
大人気ドラマ「仁~Jin~」にも登場した、コレラは、コレラ菌が原因の感染症です。
有効なワクチンが開発されるまでは、天然痘同様、非常に恐れられた病です。
江戸時代に入り、人々が日本全国を旅するようになると、人がコレラ菌の運び役となりました。
井戸や下水など、治水が進んでいた日本でも、多くの死者が出たんですね。
3)スペインかぜ
スペインかぜは、実はインフルエンザウイルスです。
名前にスペインと付いていますが、スペインが発祥という訳ではありません。
たまたま、スペインでの流行が大きく報じられたため、スペインかぜと呼ばれるようになりました。
日本では当初、台湾で巡業していた力士3人がかかり、急死しました。
そのため「相撲風邪」「力士風邪」と呼ばれていたのですが、やがて日本で大流行することに。
とくに大正時代の感染率は非常に高く、日本では既にマスクを着用していたんです。
日本の衛生に対する意識は高く、素晴らしい文化ですね♪
感染症の歴史に貢献した人物
今では、天然痘もコレラも、日本での罹患者はほぼいなくなりました。
罹患しても治療法が確立されているので、感染を防げる病となったのです。
では、どんな人物が感染症対策に尽力したのでしょうか。
1)エドワード・ジェンナー
天然痘の撲滅に尽力したのは、イギリスの医学者エドワード・ジェンナーや、日本の緒方洪庵が有名です。
主に牛がかかる病気「牛痘(ぎゅうとう)」は、人もかかるけれど、症状が軽いことを発見しました。
しかも、一度罹患すると、以降はかからないということも突き止めたのです。
ジェンナーは、牛痘の膿(うみ)を接種すれば、天然痘を接種させても感染しないことを立証しました。
この牛痘接種を「種痘」と言います。
2)緒方洪庵(おがた こうあん)
ドラマ「仁」では、緒方洪庵(おがた こうあん)が、天然痘撲滅に尽力したと紹介されました。
緒方洪庵も、種痘を広めた立派な人物です。
洪庵は備中(現在の岡山県)の出身で、やがて大阪に移り、蘭学(オランダ医学)を習得しました。
後に、コレラの治療法を書いたことでも知られています。
ところが、日本には、ジェンナーより、そして緒方洪庵よりも早く、種痘を見つけた人物がいました!
秋月藩(現在の福岡県)の藩医、緒方春朔(おがた しゅんさく)です。
ジェンナーの牛痘より6年早く、天然痘にかかった人の膿を粉末化して鼻から接種させました。
どちらも、怖い天然痘から人を守るために尽力された、立派な医学者ですね♪
3)野口英世(のぐちひでよ)
千円札に描かれている野口英世は、黄熱病と呼ばれる感染症のワクチンを開発した人物です。
黄熱病は、黄熱ウイルスを保有する蚊に刺され感染する病で、発熱や嘔吐などを起こします。
野口は、黄熱病のワクチン開発以前にも、梅毒の菌の培養に成功して世界に名を広めました。
残念なことに、野口自身は研究対象であった黄熱病によって亡くなりました。
4)北里柴三郎(きたざと しばさぶろう)
北里柴三郎は、ペスト菌を発見した人物で、2024年にお札に描かれる人です。
北里は、ペスト菌以外に、破傷風の治療法を研究するなど、感染症に大きく貢献しました。
現在の東京大学医科学研究所の創立者で、第1回ノーベル生理学・医学賞の最終候補にもなりました。
現・学校法人北里研究所、現・慶應義塾大学医学部の創立者と初代所長を兼任しています。
他にも日本医師会創立、テルモ株式会社設立と、医学界においてなくてはならない人物でした。
たくさんの「医学の道」を作ってきた偉大な人物ですね。
感染症の歴史に日本人は欠かせない
ほかにも、日本住血吸虫という、寄生虫の感染症に従事した人物や、インフルエンザを発見した日本人も!
今の私たちは、こうした研究によって助けられているんですね。
新型コロナウイルスもいつか、きっと有効なワクチンや治療薬が見つかると信じましょう!