日本のお城って綺麗ですよね。上の画像は福島県の鶴ヶ城です。美しいですね!(゚▽゚)
鶴ヶ城といえば会津藩の藩主のおわしたお城です。
個人的に会津のお殿様といえば幕末で最も気になる藩主です。
その貧乏くじっぷりがもう・・・。・゚・(ノД`)・゚・。
さて、この「藩」とか「藩主」とかよく聞きますよね。
よく聞くから薄ぼんやりとは知っていると思いますが、藩ってどういうモノなのでしょう?
藩についてのあれこれと意外な真相についてざっくりまとめてみました(`・ω・´)
藩ってそもそもナニ?
一万石以上の領地をもっている領主を大名といいました。その大名が治めた領地とその支配機構を「藩」といいます。
それぞれの藩は政治、経済において独立しており、藩はそれが一つの「国」でした。
いくつもの独立国家を将軍が束ねていた様なのが江戸時代の日本なんですね。
藩は地域固定ではなく、その領主が将軍から賜った範囲を差しましたから、その境目は流動的で、むしろ領主さえも流動的でした。
飛び地の領土なんかもあったようで、治めるのも実に大変だったのではないでしょうか。
どのくらいの藩があったのか?
現在の日本は47都道府県に分かれていますが、さて江戸時代はどのくらいの藩があったのでしょうか?
改易や転封によって消滅した藩もあれば新たに作られた藩もあり、その数は一定ではありませんでしたが、おおむね200半ば~後半の藩がありました。幕末には270の藩があったそうです。
石高ってなんなの?
藩の規模を示すのに「石高」(こくだか)がありますが、では石高とはなんでしょう?
ずばり、お米のとれる量の事なんですね。人間食べなきゃ生きていけませんから、主食のお米が重要だったんです。武士のお給料もこの石高で示されていました。ちなみに一石がお米150㎏になります。
この藩の規模を示す石高ですが、実は幕府への申告と実情が結構違ったりするんですよ。多く申告するとそれだけ色々負担させられますからね(´・ω・`)
逆に多く申告する場合もありました。
石高が農民に対する徴税の基準となったので、多く申告してより多くの年貢を取り立てようとした所もあったのです。・゚・(ノД`)・゚・。ヒドイワ
また、石高判定が豊臣秀吉の行った太閤検地を基準にしていたので、その後に生産力が伸びた地域などはそのまま申告との乖離になりました。
徳川本家を除いてナンバーワンの石高を誇ったのは加賀藩でした。今の石川県になります。「加賀百万石」とかよく聞きますよね。
表上の石高は103万石となっています。すごいですね・・・! 実高は134万石あったようです。割合でみれば3割と少ないですが・・・その差30万石ですよ!中規模の藩一つ分ですよ(´゚Д゚`)
表上の石高と実体の離れ具合でトップを行ったのは長州藩でした。
表上は36万石、その実態はなんと73万石もあったのです。倍ですねΣ(゚▽゚)
元々は大大名の毛利家ですから、分家支藩などもありその実力は計り知れないものでした。そりゃあ幕府と戦ったりしちゃうわけですね!
江戸時代に藩はなかった?
ここまで散々「藩」について説明しといてなんですが、実は江戸時代には「藩」は無かったんです!と言っても呼び方の問題なんですけどね…( ´-ェ-` )
時代小説や時代劇、学校の歴史の教科書でも江戸時代には「藩」があって「藩主」と「藩士」がいたように記述されていますよね。
しかし「藩」という呼ばれ方をしだしたのは実は幕末からなんです。
それまでは〇〇国とか〇〇領などと呼ばれていました。
では「藩」とは一体どこから出てきたのでしょうか?
江戸中期くらいから学者などが中国の文献を参考に使い始めたんだそうです。
しかし、使っていたのは一部のインテリ層で、一般人には普及しませんでした。やがて、幕末になって尊王攘夷の志士たちが使うようになります。
しかしまだ正式に「藩」という呼称は採用されていませんでした。
どの辺で正式な文書に「藩」が登場するかというと、なんと明治二年の版籍奉還になるのです(´゚Д゚`)
各領地の大名を「藩知事」に任命して治めさせました。ここから各領地を「藩」と呼ぶようになります。
しかーしッ!(`・д・´)
その二年後には「廃藩置県」が発布されまして、「藩」から「県」へと移行したのです。正式に「藩」だったのは実はたった二年の話だったのです・・・!
ついでに語りますと、「幕府」も当時は無かったんですよ。
「幕府」という言葉はありましたがこれもやはり一部のインテリ層の話であって、正式に呼ばれるようになったのは明治にはいってからなんです。(´・ω・`)
これらの事をふまえて時代劇や時代小説を見てみると、きっと面白いんじゃないかなーって思います^^
昔を知るってちょっと楽しい♫
たった150年前の話なのに実はよく知らない事って結構あるもんですよね。
幕末好きの私としては「幕府」が無いから「討幕」も「佐幕」も無かったって事が驚愕でした(´・ω・`)
当然のように使われている言葉で、実は明治以降にできた言葉って結構あるんです。
外国の言葉や思想、概念を日本語で表した造語もこの時代たくさんできたんですよ。
教科書には載ってない色々な事がわかると難しい歴史も面白くなりませんか(*’-‘)