長い間、笑点で司会をされていた桂歌丸師匠が、2018年7月2日に永眠されました。
81歳でした。病名は慢性閉塞(へいそく)性肺疾患。
司会だけでなく、本業の落語も実に見事な才能をお持ちの方でした。
本日は桂歌丸師匠を偲んで、如何に偉大な落語家であったかを及ばずながらご紹介させていただきます。
歌丸と言えば「笑点」
歌丸師匠は昭和41年の「笑点」放送開始当初から、初期メンバーとして、活躍なさっていました。
その当時の司会者は「芝浜」が十八番の立川談志師匠で、この頃に大喜利のスタイルが確立しました。
歌丸師匠は笑点の5代目司会者で、平成18年から平成28年まで司会を務められました。
回答者としても司会者としても人気を博し、メンバーとの掛け合いもお上手な噺家さんでしたね。
笑点の放送開始後、三波伸介さんが司会に就くまでは、メンバーと司会者の間でのやり取りがスムーズに行かず、苦労されたことも多々あったそうです。
現在の愉快で明るい大喜利が受け継がれているのは、歌丸師匠の苦労と尽力が欠かせなかったのです。
生い立ちと落語家への道
歌丸師匠の本名は「椎名 巌」(しいな いわお)さん。
奥様は冨士子さんと言い、笑点でも名前がよく登場していました。
お生まれは横浜。真金町の妓楼(遊郭)で、幼少の頃は間近で遊女を見て育ちました。
父を3歳で亡くし、母も姑と折り合いが悪かったため家を出てしまい、父方の祖母に育てられました。
戦後、ラジオで落語を聴いていた影響もあり、小学4年生の頃には落語家になる決心をしていたそうです。
青空教室(戦後は焼け出された家屋が多かったため学校も屋外で授業をしていました)で落語を演じると大変好評だったとのことです。
昭和26年に遠縁の親戚から「面倒見が良い」と評判の、5代目古今亭今輔師匠を紹介され入門しますが、後に4代目桂米丸門下に移籍します。
今輔師匠は新作落語を演じることが多かったのですが、歌丸師匠(当時は古今亭今児)は古典落語ばかりを演じていたこともあり、最終的に破門されてしまいました。
(他にも色々と問題がありましたが、別の機会にご紹介しますね)
その後、三遊亭扇馬(のちの3代目橘ノ圓)によって桂米丸門下となり、亭号が古今亭から現在の「桂」に変わったのです。
歌丸師匠の芸風
横浜育ちを誇りに思っていた歌丸師匠は、古典落語でよく使われる「江戸ことば」を使用しません。
歌丸師匠は幼少の頃、遊女を良く見ていたこともあり、女性の仕草や、花魁などの艶やかな表現もとてもお上手でした。
笑点の初期メンバーとして、また、司会としての姿が印象的ですが、噺家としての芸も一流でした。
昭和の頃は、まだテレビでも落語を放映していることが現代より多かったので、筆者も何度か歌丸師匠の古典落語を見ましたが、どの噺を演じても素晴らしかったのを覚えています。
略歴と落語への尽力
昭和26年11月に5代目古今亭今輔に入門。古今亭今児として下積み時代を送ります。
昭和29年11月に二つ目に昇進しますが、昭和36年に米丸門下に移籍し、桂米坊と改名します。
「歌丸」と改名したのが昭和39年1月のことです。以降、桂歌丸として活躍し、昭和43年3月に晴れて真打に昇進します。
昭和49年頃から古典落語にシフトチェンジし、その芸が認められ、数々の賞を受賞しています。
平成16年2月に、10代目桂文治の後任として落語芸術協会5代目会長に就任します。
余談ですが、10代目桂文治師匠の落語が筆者は大好きで、浅草の寄席まで見に行ったことがあります。
既にご高齢でしたので、生で見て良かったと心から感激したのを覚えています。
歌丸師匠の生の落語を見てこられた人も、後々思い出して懐かしく感じることでしょう。
本当に落語漬けの人生で、落語界に尽力された名人のお一人でした。
言霊(ことだま)だったの?
日本には言霊と言われる言い伝えがあります。
言葉には力が宿っていて、口に出すと本当になるよというものです。
「嘘から出たまこと」という言葉もありますね。
実は、歌丸師匠が亡くなる前日、筆者の母は偶然にも「桂米多朗」師匠の落語を、知人の誘いで聞きに行っていました。
落語は通常、枕と呼ばれる、落語の本題に入る前の軽い噺をします。
米多朗さんは開口一番、「今朝ね、歌丸師匠の所に行ったらね…。8時13分にね…。」と言い出したので、客席は一瞬、固唾を飲んだそうです。
その後、「……。お元気でしたーーー!」と続き、大爆笑を得たそうです。
お亡くなりになったのはその翌日。
米多朗さんが「あんな事を言わなければ…」と気落ちしていないか心配です。
笑点でも円楽師匠(前楽太郎さん)や他のメンバーにも、同様のいじられ方はしていましたけど。
今はご冥福を祈るばかりです。
落語家は長寿が多い
落語のネタにもあるのですが、噺家は座布団の上に座って、面白可笑しく喋っているだけの商売だから、肉体労働しないでしょ。
だから長生きするんだよと、笑いをとる噺家さんも居ます。
事実、平均して長寿の方が多いんです。
先述した10代目桂文治師匠も亡くなられたのは80歳でした。
歌丸師匠は81歳。
「山のあな、あな…」で知られる三遊亭円歌師匠が88歳。
確かにご長寿ですね。
笑うことは健康に良い、ナチュラルキラーと呼ばれる細胞が活性化するとも言われています。
落語は演者にとっても、聞く側にとっても体に良い娯楽なんですね。
私生活の歌丸師匠
歌丸師匠は多趣味な方でした。
渓流釣りにワカサギ釣り、歌舞伎鑑賞に映画鑑賞。
アンティークショップ巡りや化石、ZIPPOなどの収集。
写真撮影や読書など、実に多趣味!
こういった趣味も全て芸に繋がっていたのでしょうね。
忙しい中、素晴らしい行動力だと思います。
ぜひ寄席や独演会に行ってみて☆
気になる噺家さんが居たら是非、一度は生で聞いておくことをおススメします。
今はYoutubeやDVDでも見ることはできますが、生の迫力には敵いません。
筆者は立川志の輔師匠を始め、三遊亭小遊座師匠、林家喜久扇師匠などの落語を生で見てきました。
歌丸師匠は5代目春風亭柳昇師匠の噺を聴いて、噺家になる決心をしたと言います。
寄席が近くに無くても、お近くで独演会の予定があれば、一度見て体験してください。
きっと人生に彩りを与え、何かを得ることができると思います☆