新選組をご存じでしょうか。有名ですから名前くらいは聞いたことがありますよね。
日本の転換期、幕末から明治維新にかけて新選組は活躍しました。
新選組には後世に名を残した剣豪が何人もいますが、やはり一番に語られるのは土方歳三だと思います。
しかし、土方歳三ってどんな人だったのか、その活躍ぶりをご存知の方はあまり多くありません。
そこで今回、新選組マニアな私ができるだけザックリと土方歳三の生き様をまとめてみました。
新選組と土方歳三
名前は聞いたことあるけどよく知らないって方の為に、まず新選組と土方歳三についてサラッと、ほんとにサラっと説明しますね^^
「新選組」とは、京都守護職である会津藩に仕える組織で、不逞浪士(ふていろうし)の取り締まりと京都の治安維持に努めていました。
隊士は浪人や腕に覚えのある町人、農民で組織され、局長は近藤勇、土方歳三は副長として組織をまとめあげました。
近藤勇も土方歳三も剣の腕は一流でしたが、その生まれは多摩の百姓でした。
やがて幕臣に取り立てられ、百姓が武士になるという夢を叶えた近藤や土方でしたが、情勢は激変し、大政奉還がなされ一気に立場が危うくなります。
討幕の気運はどんどん高まり、ついに始まった戊辰戦争、鳥羽伏見の戦いでは、多くの藩が討幕派に味方し幕府軍は劣勢に立たされました。
譜代、親藩さえも寝返る中、新選組は最後まで幕府軍として戦います。
しかし、幕府軍は敗戦を重ね北上していきますが、函館に至る頃には土方の古い仲間は一人も残っていませんでした…。
そして、蝦夷(えぞ)に渡った幕府軍は、各地を平定し「蝦夷共和国」を成立させます。
総裁や役員が投票で決められ、土方は「陸軍奉行並」として軍をまとめる立場につきました。
やがて新政府軍が押し寄せ戦となり、蝦夷共和国は降伏します。
土方は味方の救援に向かう途中で狙撃されて死亡したと言われていますが、その遺体がどこにあるのかは未だにわかっていません。
鬼の副長
新選組副長の土方は、「鬼の副長」と呼ばれていました。
隊士に対してものすごく厳しい人だったと言われています。
破れば切腹の「局中法度」という決まり事を定め、これに反した者は、たとえ幹部でも切腹させました。
殺した不逞浪士よりも粛清した身内のほうが多いのじゃないかと揶揄される程でした。
そんなに厳しければ反発も出ようものですが、土方は貫きます。
言ってしまえば、新選組は浪人や破落戸(ならずもの)の集まりでしたから、生半可な厳しさでは統率できなかったのではないでしょう。
局長である近藤をたて、自分はあえて汚れ役、憎まれ役を買って出ていたように見受けられます(´・ω・`)
その反面(⁉︎)函館での土方は一転して温和であったといいます^^
“若い兵から母の様に慕われていた”と伝えられています。父ではなく母なのですね・・・笑
死を覚悟した悟りの気持ちと、兵の士気をあげるための計算だったと言われていますが、鬼の顔をして取締る必要がなくなったというのも理由としてあるのではないでしょうか。
実戦型の剣術
剣豪ひしめく新選組の副長だった土方ですが、その剣の腕前はいかほどだったのか⁉︎
近藤勇が四代目を務める「天然理心流の試衛館」という道場に所属していた土方ですが、入門した翌年にまとめられた「武術英名録」(江戸を除いた関東地区の剣術家名鑑)に名前が掲載されており、その実力は一定の水準に達していたと思われます。
天然理心流では中極意目録までしか記録がありませんが、これは薬の行商をしながら様々な道場を訪れ学んだ為各流派のクセが取れなかった為と言われています。
しかし、実戦では滅法強かったそうです!
砂をぶつけて怯んだ隙に斬りつけたり、首を絞めて絞殺したりと、剣術という物にとらわれない戦いぶりだったとか。
道場の試合ならいざ知らず、実戦では生き残ったモン勝ちですもんね。
実際戦地でも最前線で戦い生き残っていますから、その実力は確かな物だったのでしょう。
隊士の稽古では、座って見ているだけで指導するのではなく、胴をつけて汗を流しながら隊士を打ち据えて稽古をつけていたそうです。
きっとすごい迫力なんでしょうね! 怖いけど見てみたいですね。
モテモテのイケメンだった?
土方歳三といえば、大層な美男だったと伝えられています。
色白で引き締まった涼し気な顔立ちで、身長も当時にしては長身だったそうです。
残されている写真を見て「全然イケメンじゃないじゃん」なんて言う人もいますがw
当時と今では美醜の感覚も多少違うでしょうし、何より写真技術の発達していない当時の写真一枚で判断してはいけません。
とはいえ、写真がその一枚しか残されていないのですから判断しようもないわけですが・・・土方のモテモテっぷりを表す逸話が残されています。
京に上ってからの土方は、花街の女性にモテてモテまくったそうです。
ある時土方は故郷の親戚に荷物を送りました。
中には女性から送られた恋文が大量に入っていたそうです。
添えられた手紙にはモテてモテて困っちゃう、というような事が書かれていたそうですよ!
そこに詠まれていた句が残されています。
「報国の 心わするる 婦人かな」
女性の相手に忙しくて仕事の事も忘れそうだ、というような意味と思われます。
その意味もどうかと思いますが、恋文を送り付けるとか・・・(*`Д´*)
江戸に許婚がいたとか、京で女性を囲ってたという話も残っていますが、どうやら女性関係は派手な人だったようですね。
その生き様は桜の如く・・・
新選組や土方歳三については、現代でも賛否両論あります。
彼等こそ誠の武士だという方もいれば、ただの殺人集団だと言う方もいます。
そもそも明治維新の是非でさえ賛否両論ありますしね。
どちらの立場から見るかによっても全然変わってくるでしょう。
まぁ、昔の事を現代の価値観で語るのはどうかと思いますけどね(´・ω・`)
「花は桜木 人は武士」という言葉があります。
バスケの漫画のセリフがオリジナルじゃないんですよ!( ゚д゚)
花は桜が一番優れており、人は武士は一番優れている、という意味だそうですが、桜はパーッと一気に咲いてパッと散りますよね。
桜の花のように潔く美しく死ぬのが武士の在り方という意味合いもあるそうです。
名を賜ってからほんの5年と少しで時代の激流に消えた「新選組」。
最後までその命を燃やし武士として散った土方歳三。
まさに桜の如く、ラストサムライと言っていいのではないかと私は思います(゚▽゚)