最近、長崎では潜伏キシリタン関連する遺産群が世界遺産に登録される見通しとなり盛り上がっています。
しかし、長崎ではもう1つ決して忘れてはならない歴史として原爆があります。
では、その長崎原爆による死傷者数や被害の規模は一体どれくらいだったのでしょうか?
また、その死傷者数がまちまちであったりと被害実態が上手くつかめない背景には何が有るのでしょうか?
今回はこれらの疑問を解明していくと共に、原爆の恐ろしさについても考えていきます。
長崎原爆の威力は?
長崎と広島に落とされた原爆を、TNT換算で表すと以下のようになります。
- 長崎:約2.2万トン
- 広島:約1.5万トン
このように長崎に落とされた原爆の方が、実は約1.5倍も威力が高いのです。しかも、広島はウラン型原爆、長崎はプルトニウム型原爆と種類からして違っています。
またTNT換算は、放出されるエネルギーがTNTという高性能爆薬で同じエネルギーを発生させるためには、どれくらいの質量が必要なのかを表した量になります。
つまり、長崎の原爆では約2.2万トンもの爆薬が一挙に爆発したということになります。
あまりに日常的な感覚とかけ離れた数字で、上手く他に例えるものを見つけることができません…
しかも現在、同等以上の核兵器であるミサイル等に搭載する核弾頭は世界に1万5千発以上有るとされます。
被害の規模は?
長崎と広島の原爆での死者で、最も有力な説は以下の人数になっています。
- 長崎:約7万4千人
- 広島:約14万人
また、当時の推定されている人口は、長崎が約24万人、広島が約35万人です。
この様に人口規模から考えても、広島の方が死者がかなり多いことが分かります。
これには、長崎の山に囲まれた起伏に富んだ地形が関係しています。その山によって熱風や熱戦が遮られ、被害が軽減されたと考えられています。
そのため、県や市の行政機能が全滅することは免れたのです。
しかしながら、爆心地である浦上地区などの被害はやはり甚大であり、一帯が壊滅する悲惨なものでした。
例えば、浦上教会で多くの信者が亡くなったり、長崎医科大学でも多くの患者や職員が亡くなっています。
なので、どのような被害規模であったかを正確に把握するために死者数を考えることは確かに重要ですが、それだけで原爆の悲惨さを考えてはなりません!
また、原爆の威力だけでは被害規模を想定するには不十分なことも知っておくべきことになります。
なお、実は長崎は原爆投下の第2目標であり、第1目標は当時の小倉市でした。現在の北九州市辺りです。
そのため、投下予定地とされた現在の北九州市にある勝山公園では、長崎に原爆が投下された8月9日に毎年慰霊祭が行われています。
被害者の数とは?
ここまで原爆の脅威で主に考えてきたのは、ほとんどがその爆発力のみになります。例えば、TNT換算では爆発力のみを評価しています。
しかし、原爆の恐ろしさはそれだけでなく、撒き散らされる放射性物質などによる被爆も脅威です。
そして、この被爆による被害がより被害者の数を分かりづらくしています。
例えば直接爆発に巻き込まれなくても、飛んできたり残留している放射性物質による被爆などもあります。そのため、被爆の仕方が様々で全容は明らかになっていません。
さらに、放射線により亡くなるまでにはその量などにより時間差が出てきます。なので、先程の死亡者数も1945年12月末までに亡くなった方の推計なのです。
つまり、それ以降も原爆によって亡くなる方は増え続けていくのです。
さらに、胎内被爆によって長く生きられずに亡くなった方もいらっしゃいます。また、被爆者の子供である被爆2世の方などの影響も懸念されています。
この様に、非常に長い期間を空けて亡くなる方がいたり、その実態が今なお掴めていない部分もあって、これだけと数を区切ることができていません。
このあまりにも多くの被害者を生み出し、非常に長期間に渡って被害が続くという点で核兵器は他の兵器を上回る恐ろしさがあります。
原爆の恐ろしさ
原爆の威力であったり、被害者の数を正確に把握することは、その被害規模を正確に後世へ伝えるためには極めて重要です。しかし、数字だけではその恐ろしさを十分に把握できたとは言えません!
原爆による被爆はどのようなものであったかや、特に被爆者の体験を聞くことは重要です。
もし、聞く機会が得られるようであれば、ぜひ一度聞きに行ってみてください。私も一度聞かせてもらったことがあるのですが、あれほど恐ろしいとは思いませんでした。
また、原爆はそもそも非人道的な兵器とされます。それについては下の記事にまとめてあります。
そして、核兵器を単なるすごい威力の兵器とは思わずに、その恐ろしさ残虐さも考えてみてください。