二千円札にも描かれている「源氏物語」と、その作者の紫式部。あまりにも有名ですね。
しかし「源氏物語」を知っていても、作者の紫式部の人物像については、よく知らない方もいらっしゃるのではないでしょうか?
本名は藤原香子さん!?
清少納言とはライバル関係だった!?
藤原道長の愛人だった!?
この記事では、そんな「源氏物語」作者の紫式部についてご紹介します☆
「紫式部」の名前の由来、本名は?
「源氏物語」の作者として広く知られる紫式部ですが、実は「紫式部」は本名ではありません。
越後守・藤原為時の娘であるということはわかっていますが、本名は不明なのです。
「藤原香子(かおりこ、たかこ、こうし、よしこ)」が本名ではないかという説があります。
「紫式部」という名は、「源氏物語」の中でも一番のヒロインであり、すべてにおいて最上級の女性として描かれている「紫の上(若紫)」の「紫」と、式部省の官僚だった父・為時の官位「式部」に由来していると推察されています。
いつ頃、誰が「紫式部」と呼び始めたのかはわかりませんが、「源氏物語」の中でも群を抜いて素晴らしい女性として描かれている紫の上の名から由来することから、紫式部も優れた素晴らしい女性だったのではないかと思います^^
また、「日本紀の御局」というニックネームが付いたという話もあります。
「紫式部日記」には、
『源氏物語を女房に読ませた一条天皇が、作者は日本書紀をたしなんでいる人物にちがいない。と言ったことから、日本紀の御局とあだ名されてしまったわ~』(意訳)
と書かれているそうです。
当時の女性には珍しく、日本書記を読み込む博学な女性であったことが伺えるエピソードですね。
清少納言とはライバル関係!?
紫式部は、藤原道長の娘で一条天皇の皇后・藤原彰子(しょうし、あきこ)に仕えていました。
「枕草子」の作者として有名な清少納言もまた、藤原道隆の娘で一条天皇の皇后・藤原定子(ていし、さだこ)に仕えていました。
政権をめぐってライバル関係であった藤原道長と藤原道隆!
一条天皇をめぐってライバル関係であった藤原彰子と藤原定子!
となると・・・
紫式部と清少納言も、ライバル関係であったと想像できそうですね。
「紫式部日記」には、
『清少納言は得意げに漢字を書いているけど、よく見ると間違いもあるし、たいしたことないわ~。』
『この人の行く末に良いことなんてないでしょう。』 (意訳)
など、清少納言に対し少々毒舌な批評をしているようです。
しかし、紫式部が宮仕えをした時期には、清少納言はすでに宮仕えをしておらず、2人には面識がないとの見解もあるそうです。
面識はなくとも、同時代の優れた女流作家同士なので、思うところはあったかもしれませんね^^
時の権力者・藤原道長の愛人だった!?
紫式部には、藤原道長の愛人だったという説があります。
「紫式部日記」には、
『夜に道長が部屋に来たけど、うまくかわしたわ~』(意訳)
といった内容が記されているそうです。
夜に部屋に来る時点で・・・とも思えますが、どうなのでしょうか???
時の権力者(現代でいう大物政治家?)と、有名女流作家の熱愛!?
スキャンダルになりそうですが、当時は一夫多妻であり、紫式部は早くに夫と死別していたようなので、問題はありません。
道長、娘の彰子、紫式部と、同じ派閥の2人が恋愛関係にあっても不思議ではないように感じます^^
紫式部のまとめ
「源氏物語」の作者として知られる、紫式部についてご紹介しました^^
「紫式部」という名前、「日本紀の御局」というニックネームからも、彼女が才知に満ちた女性であったと想像できますね!
そして、同時代に清少納言という、同じく優れた女流作家が存在したことは、お互いに励みになっていたのではないかと思います。好敵手(ライバル)ってやつですねッ!
後世に大きな影響を与えた、優れた女流作家である紫式部。
彼女自身のことを知ると、より彼女の作品も楽しめるかもしれませんよ☆