江戸時代の飛脚というと、棒の先に箱をくくりつけたものを担いで、すごく速いイメージがあります。
しかし、実際のところ、速度はそんなに速くはありませんでした。今のマラソン選手よりも遅いです。
でも、やっぱり当時としては最速の通信手段でした。
今回は、そんな飛脚がどれほど速さで庶民に役立っていたのか、その理由をご紹介します☆
最も早い飛脚の仕組みとは?
江戸時代の飛脚は、宿場毎に人を変えるリレー方式で荷物を運んでいました。
幕府の公用便であった継飛脚の場合、江戸から京都までの53箇所の宿場町を2人1組で繋いでいきます。
1区間辺り大体10km程度です。
そして、最も早く届けた場合は、3日程度で届けることが出来ました。
この3日で届ける場合にかかる料金は、100万円以上したとも言われます!
確かに、雇う人数が実際に走る人だけでも100人以上になりますから、妥当な料金設定なのかもしれません。
そのため、一般の人が使うのはもっと遅い飛脚でした。
この中で、日数の保証がない最低料金の飛脚だと3,000円くらいで送れます。
ただし、届くまで1ヵ月くらいかかります。これだと相手からの返信も考えると送ったことを忘れそうです。
もちろん、10日や6日などもっと早いのもありましたが、料金はぐっと上がっていきます。
飛脚は遅い?速い?どっちなの!?
江戸から京都までの距離は約492kmです。江戸時代の交通手段は、基本は徒歩なので、今よりもっと遠くに感じたことでしょう。
それで、最も早い飛脚はその距離を3日で届けたので、およそ時速7kmで走っていたと考えられます。
現在、男子マラソンのトップランナーだと、時速20kmで走りますから、飛脚のほうが断然遅いです。
ちなみに、時速7kmでフルマラソンに出場すると、6時間位かかってしまいます。
しかし、飛脚が遅かったとはこれだけでは言えません。もっと考慮すべき様々な条件があります!
例えば、峠をいくつも超えたり、川を歩いて渡ったりしなければいけませんでした。
もちろんランニングシューズはありません。履いているものはわらじになります。
さらに、夜道を蝋燭の灯だけで走ったりもします。街灯なしの月明かりのみの道です。
そのため、速度が遅いと言っても、飛脚が遅いとは言えなかったりします。
実際に、当時歩いて江戸から京都まで行くと、2週間程度かかったそうです。
これだと、1日あたり35km程度歩いていることになります。相当の健脚だといえるでしょう。
なので、やはり飛脚は、速くはないが、届ける時間は早かったと言えます。
馬の方が早くない?
飛脚は早いかもしれませんが、やはり馬を使ったほうが早いのでは?と思う方も多いでしょう。
しかし、一概にはそうとは言えません。
これには以下の3つの理由があります。
【昔の馬はポニー!?】
暴れん坊将軍とか時代劇に出てくる馬は、大きくて速いサラブレットが使われていますが、昔はいません。
小さくて、どちらかと言うとポニーみたいな馬が主流です。
また、走るというより、荷物を担がせて、パカパカ歩く感じになります。
そのため、走ったとしても、そこまで速くなかったとされます。
【馬でも長距離は…】
馬も動物ですから、当然、延々走り続けることは出来ません。途中で休息が必要です。
そのため、馬を使った場合でも、休み無く走るには途中で馬を変える必要が出てきます。
これが大きな問題で、そんなに馬を常備しておくことが難しいという問題が発生します。
また、乗り手も疲れますので、これも交代する必要があります。
そのため、費用がかなり高くなる問題も発生します。
【馬では夜道を走れない】
江戸時代は街灯がないので、日が落ちれば道は真っ暗です。
そのため、馬を走らすのは危険ですし困難です。
結局、これらのことを考慮しながら馬を使うと、人のみで走った場合とさほど変わりません。
そのため、費用も余計にかかる馬をわざわざ使うことは、あまりしなかったと考えられます。
やっぱり飛脚は凄かった!
・飛脚はリレー方式で1人当たり10kmくらい走った
・道の状況や装備のこと、走る時間帯などを考慮すると遅くはなく、届ける時間としては早かった
・馬を使っても人のみで走った場合とそこまで変わらない
飛脚を速度で考えると、そこまで凄く感じられないかもしれません。
しかし、約492kmもの距離を、人のみの力でたった3日で届けることが出来ました。
飛脚の凄さは、それを実現しうる仕組みにこそあったと言えます。
今と比べると遅いと感じるかもしれませんが、やはり当時では最速の情報伝達手段だったのは言うまでもありません。
そして、この過程を経て、現代の物流システムが確立されました。
そう思うと、荷物を届けてくれた業者さんに、心から「ご苦労様です!ありがとうございます♪」と敬意を表したくなりますね^^