茶席でいただく、まったりとした上生菓子の味わいと、それを包み込むように口中に広がる抹茶の爽やかさは何とも言えませんね。
それでも中には、「抹茶と上生菓子の絶妙なコラボ―レーションは好きだけど、茶会での作法が苦手でつい敬遠してしまう…。」という方も多いと思います。
このように敬遠されがちの茶道の作法はどのような意味があるのか?いつ頃から始まったのか?茶道の始まりから紐解いてみましょう。
茶道の作法の意味づけはいつから始まったのか?
12世紀末に禅僧・栄西が中国から抹茶の製法や「喫茶」の作法を伝え、「喫茶養生記」を著し茶の薬効を喧伝したことなどにより、当時の武士階級や仏教社会に次第に「喫茶」の習慣が定着しました。
このような「喫茶」の習慣は、当時の公家や上流武士階級の間で「茶会」のスタイルで盛んに行われ、階級社会である武家階級の行儀作法や心得などを取り入れた「茶会のマナー」が「作法」として確立されていきました。
当時の武家社会では禅宗が尊ばれ、禅宗の「わび」、「さび」の概念が、学問、文芸、社会生活の上に大きな影響をもたらしました。そして、お茶の世界でも禅宗文化の影響を受けた「侘び茶(わびちゃ)」と言う閑寂な茶道が誕生したのです。
この侘び茶の茶道は、代々の茶人に引き継がれ、千利休の時代になって、時の関白・豊臣秀吉の庇護のもと、侘び茶の作法が集大成されていきました。
茶道における作法は、作法の基本である「立ち居振る舞い」から始まりますが、その代表的な所作として「正座」、「お辞儀」、「上座と下座」について、その意味を調べてみましょう。
「和敬」の心
茶道における作法とは、源流的に>言えば、武家社会の行儀作法や心得から<きています。
茶道の作法で重んじられている基本は、「和敬(わけい)」にあるとされています。
この和敬とは、心を穏やかに、慎み深く保ち、敬いの気持ちを持つこと。
が時間をかけて用意した心配りを察知しつつ、礼法に則った所作・動作により敬いの気持ちをもって応えることが大切です。
「正座」
「正座」とい「生活様式」は、武家の住居様式の「書院造り」が完成した室町時代以降に定着したと言われています。
「武家作法」の側面で言えば、「正座」の姿勢は身動きがしにくく即座に立ち上がることが難しいため、対面する相手に攻撃する意図がないことを示す姿勢とも解釈され、茶席に最適な座り方とも言えます。
「お辞儀」
「お辞儀」は、日本では古墳時代に遡る慣習であり、対面する相手から目線を外し、攻撃されれば命に関わる頭を下げる動作は、相手に対し敵意がなく相手を信頼している証を表現しています。
欧米では、挨拶としてお辞儀の代わりに握手を交わしますが、その際も視線を逸らさず利き腕の右腕で握手をします。 欧米の諸民族にとって、その歴史的な闘争本能から、利き手に武器を持っていないことを確かめ、握手の間も視線を逸らさず頭を下げないのは、自己の身の全に必要不可欠なものなのです。
「上座と下座」
茶席の場所では、その場の位置関係を示す「上座(かみざ)」、「下座(しもざ)」が動作の際の基準となります。「上座」とは茶席の主や主賓の場所、「下座」は下位の人の場所を言います。「入る・歩く・立つ・座る」など、諸動作において、最初の踏み出しは下座側の足からの踏み出しとなります。
この作法は「武家作法」からきていて、上座側の足から踏み出すことは対面する上位者に近い側の足から歩き出すことになり、相手に向かっていく気配を生む無礼な振る舞いとされました。
相手から遠い「下座」側の足から踏み出せば、間をおいた穏やかな動作になり、相手に対する「和敬」の心が表れることになります。
作法から学ぶ茶道の魅力
茶道の作法には「なぜそうするのか?」という合理的な意味や理由があります。
敬遠されがちの茶道ですが、こういった意味合いを知れば、きっと、その奥深さに魅了されてしまいます。
「和敬」の心を持って、その所作を理解すれば、作法も自然と身に付き、きっと、お茶会の抹茶と上生菓子の絶妙なコラボ―レーションも堪能できることでしょう。